人間の心は50年経っても変わらない・・・公害と3.11について。
どうも、けー(Ke_sannn)です。
唐突なんですけど、明日から急遽、お花屋さんで短期アルバイトを始めることにしますた。
中学の友達からお誘いを受けて、これから約2ヶ月程アルバイトをすることになりました。
なんで2ヶ月かといいますと・・・
母の日・父の日
があるからです!!!!笑
この時期のお花屋さんは非常に忙しい(繁忙期)なので短期でも働き手が欲しいそうです笑
みなさんも母の日・父の日は日頃の気持ちと感謝を込めてお花をあげてみれば??
(謎のお花屋さんの回し者みたいな発言・・・笑)
さて、自分の私情はここまでにしといて今回は少し、内容を真面目に書きたいと思います。
タイトルは
「人間の心は50年経っても変わらない・・・公害と3.11について」
です。
なんで今更・・・
と思う方もいると思うのですが、自分の所属しているゼミ(少数で行う講義)の教諭が環境経済学の先生で今年は水俣病について研究をするという方針なので、今回はこの内容で話を進めていきます。
※自分自身、まだ水俣病についてまだ研究が捗っている訳ではないので、不適切、不謹慎な内容になるかもしれませんが、書かせて頂きます。
ご了承ください・・・
1 どんなに進歩しようと人間の心は変わらない・・・
時は遡って公害が発生していた時代のお話になります。
だいたい、いまから60年前といったところでしょうか。
日本国内は高度経済成長期となっており、戦後からの復興に向けて猛ダッシュ中です。
環境なんてお構いなし、まずは景気を。。。
といった感じでしょうかね。
(大雑把すぎてすみません)
ちなみに、公害というとよく「四大公害病」という単語で学生の頃に学習した方がほとんどでしょう。
- 四日市ぜんそく
- 水俣病
- 新潟水俣病
- イタイイタイ病
こちらが「四大公害病」です。
学校で習うときは、
「国が経済成長を求めすぎて、公害は生まれた」
「企業も分かっていて黙認して川に害のなるモノを流していた」
などなどでしょうか。
もちろん、正しいです。
ですが、多くの学校で習うのはそこまでです。
- 患者の被害者数
- 国・県・企業と患者との闘い
- そしていまも続いている患者の闘い
などといった深い内容までは習いません。
(勿論、習う方もいるかもしれませんが、深く習うと教科書の内容が全て終わらないであったり、授業スピードといった諸事情があると思います。)
今回は水俣病で被害を受けた、児童について少し討論をしました。
当時、まだ国が水俣病を公害として認めていない頃は、「奇妙な病」として水俣病は恐れられていました。
俗にいう感染症にかかったという表現が正しいかもしれません。
そんな中で、例えば、自分が学生で同じ学校の友達の両親がその「奇妙な病」にかかったということを知ってしまったら皆さんはどのような態度をその児童に取りますでしょうか。
「そんなの関係ない、友達は友達だ」
と思う方もいると思います。
不謹慎かも知れませんが、もし自分がその児童の友達であったら少し距離を置くかもしれないです。
いまと違って、情報社会でもない、それであって謎の病気。
「もしかしたら、一緒にいたら自分も感染してしまうのでないか」
「自分が感染したら自分の家族も感染してしまうのではないのか」
では、その学生と全く関係のない学生だったら?
もしかしたら、無視・軽蔑・差別・・・といったこともあるかもしれません。
そして、情報がない中で先生は「奇妙な病」について説明はできるだろうか???
結果的にいうと、家族に水俣病を患った多くの学生はいまでいう「いじめ」に遭っていました。
2 そして約50年経ち、3.11の大地震が起こる
まだ皆さんの記憶にも残っているであろう、東日本大震災。
多くの方が、地震・そして津波によって被害を受けました。
そして、近くに原発があったことでも大きく問題になりました。
原発の被害によって多くの方が地震の後にも被害に遭われています。
それは、きっといまも続いています。
原発の近くで農業を営んでいた方々は、俗にいう「風評被害」というものに大打撃を受けました。
いまのこの情報社会で安全と分かっていても売れないという事実。。。
逆にいうと情報社会によって正しい情報だけで無く、様々なウワサ・憶測・推測で間違った情報も流れて、
「原発近くで取れたモノは危ない」
というのが流れていたというのも事実です。
そして、原発によって住めなくなった人々は、違う地域に住むことになります。
そんな中、流れてきたニュースが
原発近くから転校してきた児童、いじめ。。。
原発の近くにいたからって感染する訳でもないのに
- 放射線の菌を持っている
- 一緒にいたら感染する
- お前なんか学校にくるな
・・・などといった言葉を原発から避難してきた児童は言われたいたという事実。。。
まったく、公害の時と変わらないという現状です。。。。
もちろん、子供なので、原発の詳しいことは分からないし、ただからかっているだけなのかもしれない。
(からかうこともどうかと思うが・・・)
しかしながら、子供の両親であれば、しっかりと躾をすることは出来るのでないだろうか。
やって良いことと悪いことを教えることを。。。
結局のところ、時代は進歩し、技術革新などがあっても、人間の心というのは成長を遂げていないという結論に至るのではないだろうか。。
・・・という個人的には少し難しい内容について書きました。
人間の心情というか心ってなんかこういうのあると虚しく感じますわ。。。
結局は公害の時の被害を教訓にすることは出来ず、児童はいじめという被害を受けるというのが現実です。
○○を教訓に~
というのは本当に教訓にしているのか、という実態にも迫るとこかと。。。
うん、なんか自分でも何をいっているか分からなくなってきたので今回はこの辺で。
また、書く機会があればこの件について書いていきたいと思います。
ではーーーー!